唐櫃越(からとごえ)

町つくり推進会長 藤田 修

 その昔、光秀も通ったであろう唐櫃越、篠町山本の如意寺横から京都市上桂に至る約17㎞のハイキングコース。亀岡市域に篠町町つくり推進会歴史文化部会が案内板等を設置しています。
 大河ドラマ「麒麟がくる」が終った今でもJR馬堀駅に降り立つハイカーを見かけます。
 昨年、文化庁選定歴史の道百選に選ばれました。地元民として一度歩いてみようと6月20日に自治会スタッフと藤田の4人で出かけました。
 朝の涼しい時間帯に歩こうと、阪急上桂駅を7時半に出発し、一路山本を目指して歩き始めました。天候不順な時期でありましたが、当日は、曇りがちながらもさわやかな風が頬をなぜ、京都市内を遠望できるポイント、八幡方面を遠く見渡せるポイントで汗を拭きながら水分補給。大木の切り株や台風の傷跡の残る山道を歩き、西山区へ向かう林道の分かれ道で小休止。後は林道を北方面に山本を目指し、みすぎ山の鉄塔で少し早めの昼食を取りしばし休憩。篠町を眼下に望み「九十九里をもって半ばをなす」と肝に銘じ、急な下り坂を注意しながら歩き如意寺横の登山口に到着。時計を見ると12時を少し過ぎ、一同、歩き通せたことを喜び合いました。
 町民の皆さん、密を避けつつ一度歩いてみてはどうでしょうか。
 この道は 天下取り人 通る道

防災ウォーク

総務部会長  梅本 靖博(野条区長)

1951年の平和池災害から今年で70年となることから、篠町自治会では災害の記憶継承や防災意識向上を目的とした「防災研修(防災ウォーク)」を 6月5日に実施しました。
行程は篠町自治会から山本浜→水害慰霊塔→柏原公民館→川西地区、篠町自治会帰着とし、篠町の各区長と亀岡市の職員を含めた約60名が参加しました。
山本浜では、霞提嵩上げ工事、桂川水位計・ライブカメラ、山本樋門を視察し、当時の水位や氾濫の程度など説明を受けました。
水害慰霊塔では、柏原区中尾祐蔵さんより、「語られない大水害」としてダムの建設当時より下流域の住民が反対したにもかかわらず国が建設したこと、完成の2年後(1951年7月11日)大雨によりダムが決壊し年谷川流域で氾濫を起こし、死亡者総数114名その内、柏原地区から75名(大人50人小人25名)もの犠牲者が出たこと。
しかもその内67名は年谷川周辺の方が亡くなられたこと。驚きはその災害について当時大きく取り上げられることなく時間が過ぎたことです。
中尾さんはじめ柏原地区の住民が「災害の恐ろしさを知り、未来に備え、災害の記憶を継承する」ことを目的に、地道に資料を集めて今日に至った経緯などを話されました。
柏原公民館では、住民の方が集められた資料が回廊式の展示場となっており、災害の規模を知ることができます。また、防災倉庫には避難用のボートが設置され定期的に訓練を行っておられます。
当日は桂川市長が訪問され「水害の犠牲となった方に哀悼の意と中尾さんはじめ柏原地区の住民の努力に感謝の意を申し上げられ、災害に備えることの大切さと、亀岡市としても様々な施策を打ち出していく」と話されました。
次に川西地区では、2013年の台風18号の保津川の支流(西川)氾濫で多くの家屋が浸水被害に遭われ、避難活動の実態等について元区長の山田吉和さんから説明を受けました。当時、区に配備されていたスピーカーの電池が切れていたため各戸への非難の呼びかけに大変苦労されたことや水が引いた後のごみの撤去を住民が協力し合って迅速に行えたことなどを話されました。
今回の防災ウォークを通じて、被害に遭われた地域で行われている日頃からの住民同士の連携や備えなどが大切であることを学びました。
中尾さんのお言葉「防災は知る・備える・伝える」を受け、今後、平和池災害を風化させることなく私たちも感じ学んだことを広く多くの方に継続して伝えていくことが大切であると感じました。